先の甲子園で、ある高校の、ある投手の投じた球について、某元アナウンサーとやらがツィッターかなにかで批判しているという。現在はすでにそのツィッターは削除されているそうですが、検索すればヒットします。そのツィッターによれば
(以下、引用)
ダメとは言わないが、少なくとも
投球術とは呼びたくない。
意地でも。こういうことやってると
世の中をなめた少年に
なって行きそうな気がするが。
ハハハ。
(引用終わり)
だそうだ。
大の大人がまともにこういうことを呟いていると思うと本当に情けなくなる。ま、この人は古い人だからそういうふうに思うのだろうけれど、ある一定のルールの中で競技していて、そのルールを逸脱した訳ではないのだから批判されるべきものではないと思う。高校野球だから正々堂々真っ向勝負、とか言いたい? それって(極論すれば)玉砕戦法と変わらないのでは? 一定のルールの中で「勝つため」に戦術を駆使して何が悪いのか? 少し昔にあった「五連続敬遠」のときも感じたけれど、どうして日本人は多様な考え方や多様な手段などを否定しようとするのだろうか?
もちろん、この某元アナの発言も多様性という意味においては問題はないけれど、どうしてもひっかかるのは
①「意地でも。」と書いてある部分
②「世の中をなめた少年」
の二カ所だ。
この人(元アナ)はホント、野球を知らないよね。野球、特に投手をやっていた人なら分かると思うけれど、スローボールをしっかり投げられる人ってそうそういない。本来であればリスペクトに値するのであって批判されるべきではない。自分が出来る範囲でどうすれば相手を抑えられるだろうかを考え抜いてああいうことをしているのであって真っ向勝負して打たれよ、というのは見ている側の論理であって感動の押し売りに過ぎない。バカみたい*1。
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昨年も似たようなことがあった。某高校の何番打者かがファウルを続けていたことに対して高野連の連中ががだがだ言っていた。「高校生らしく?」 は? 本当にアタマに来ることが多い。
高校野球は露出度もあるし注目されているから仕方ないのだけれど、何か今までとは違った何かが注目されると必ず批判の対象にする輩がいることが嘆かわしい。こんなんだからイノベーションも生まれないんだよ。
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何事も最初に何かをしでかす人は立派だ。周囲の人間は評論家に徹するのであって誰もが最初の言動で批判されたくないからね。誰でも評論家になれる。しかし評論家にはバリューは出せない。その点、某投手は彼なりのバリューを出せたと言える。
*1:某TV局の○時間テレビもその典型だと思っている