先日、高校時代の野球部の仲間から同窓会の案内をもらった。
そう、当ブログ管理人は高校まで野球をやっていたのでその高校野球で切磋琢磨した仲間からの連絡であった。「参加しないよ」という返事をしている。
少しだけ、自分のことを語ろうと思う。今でこそ週末ファーマーを自称する単なる家庭菜園愛好家であるが、小学生の時分から高校三年生まで野球を続けていた。高校に入る頃、正直野球部なんかに入るつもりはなかったのだけれど、部活に入らないでいると心配だという母親の策略により入部することになってしまった。入る理由などなかったが、入らない理由もなかったのでとりあえず参加。そこそこ強いことは知っていたが、一年生の夏にまさか甲子園に出場するなんて夢にも思わない。そもそもこの甲子園に出てしまったことが自分の高校野球生活を変えてしまったといっても過言ではない。つまりもともとあまり乗る気でなかった部活動がさらにつまらなくなったのだ。
甲子園出場は当時の三年生のおかげ。自分たち一年生はその恩恵に預かっただけで自慢すべきことでもない。ただ、かつて甲子園に出たという事実だけが残っている。
部活動そのものはそれなりに楽しかったと思う。楽しくなかったのは甲子園に出てしまったばっかりに周囲の大人たちの視線や態度、発言などが「勝利至上主義」に変遷していったことだ。それが露骨に分かるからおもしろくない。当事者である親やその子供はいいだろう。ベンチ入りが確約されるのだから。つまりそういうことなのだ。
やっとのことで引退した三年生の夏は心からホッとしたものだ。もうそんなことに関わりたくないと思っている。
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だから、というわけでもないけれど、その高校時代の友人から同窓会の案内が来たのだが、行かないという返事はした。だが高校時代の苦楽をともにして来た仲間に会うこと自体は楽しそうだ。アタマがはげ上がった友人もいれば、お腹が異様に膨らんできた友人もいる。いつの間にか結婚したヤツとかいつの間にか離婚したヤツもいる。久しぶりだ、という事実。だからもうそれだけで結構。
自分が同窓会に一切出ないのにははっきりとした理由がある。これは何も高校時代だけでなく、中学や高校、大学も同じことだ。当然、同窓会などに参加すれば昔話に花が咲く。昔はこうだったよね〜、とか。中でも心底つまらないのは「○○(人名)は〜〜なんだって」とかいうゴシップネタとか「昔、○○(人名)は××だったな〜」などというどうでもよい話題。はっきり言うと興味がないんだよね、そういう話。聞いているだけで「で、だから何なの?」と言い返したくなるのだ。非建設的な話をするために集まるのが同窓会ならば、自分はそういう会合には一切出ない。だって建設的でないもの。昔は良かったねー、的な話がしたいなら、昔を懐かしむような面々だけで集まってもらいたい。昔があって今があるのは承知しているけれど、昔を懐かしむ、昔は良かったみたいな後向き発想はこの際は無益だ。
もし同窓会などという代物に参加することになり、当時の友人に
「昔いた、○○はさぁ、今、××しているんだってさ」と話しかけられたら
「へぇ〜(だからどうした?)」で終わる。
「なんかつれない返事だなぁ」と言われるだろうから
「そうかい?」と言うだろう。
「ウチの嫁はさぁ、鬼でさー」とか
「子供はホント、バカで困っちゃう。カネかかるし」とか
「給料上がらねー」とか聞かされても「で?」と聞き返してしまうだろう*1
思うと、自分はホント、つれないのだと思う。
昔の他人には興味がない。もっとも昔の自分にも興味がない。興味があるのはこれからのこと。自分はどうしたらもっと成長出来るか? 向上するか? どういう世界が待ち受け、どういう刺激的な人物と出会い、どういう市場で活躍出来るのか、ということだ。
きっと自分は変わり者なんだ。昔話ほど非建設的な話などないと思っているんだから。昔の同級生の、今は○○話も自分にとっては不要な情報。HDに残すべき内容じゃない。既読スルーって感じ。「マネージャーだった○○(人名)、結婚したんだって」とか聞かされても困る*2。
でもそういう話をしたがる連中が同窓会にやってくるんだろうね。
昔話をされて「だから何なの?」と答えようものなら雰囲気が悪くなるに決まっているから自分は出ないことに決めている。
自分はこうやって古い友人たちと疎遠になっていく。