自称週末ファーマーの菜園ブログ

人と向き合う代わりに犬と野菜と向き合い、出不精な性格ながらも少しでも進化しようとささやかな努力を続ける中年の趣味のお話

「教員の言うことはすべて正しいんですか?」

f:id:sk6960:20140927173845j:plain

我が家では朝日新聞を購読している。そう、あの朝日新聞だ。その朝日新聞に「こころ」が連載されていて日々眺めていた。もちろん我が家の書棚にこころは格納されているのだがそれでも新聞に載せられた話を一日たりとも欠かさずに目を通した。結末も知っていたしその作品の価値も知っている。最近の若い連中はこころを読んだことはあるのだろうか? そうだ、高校生の頃、教科書に載っていた気がする。今でも掲載されているのだろうか?

こころを眺めていて思い出したのは高校生時代の国語の授業のことだった。当然、こころは教科書に載っていて、それを題材に授業が展開された。実はこころはすでに中学生のときに読んでいた。だから授業で取り扱うであろう論点も容易に想像ができた。何年も昔のことだから詳細は忘れてしまった。授業の中でもっとも盛り上がったのはやはり「Kが自殺した理由」のところだった。解釈はいろいろあり、いろんな考え方を知るのは楽しかったという記憶がある。

・Kが自殺をしたのは先生と娘が結婚を決めたからではないか

・俗を否定するはずのKが娘に恋したからではないか

・その自分に対して嫌気がさしたからではないか

・死ぬことでリセットしたかったのではないか

など高校生ならではの斬新または全う、または稚拙な意見が飛び交ったものだ。おそらくは理由らしい理由は読者が決めること、と漱石は言うに違いない。だからいろんな解釈が成り立っていいはずだと思っていた。多くはKは先生に裏切られた感があって苦悩の末自殺したのだというふうに思っていたようだ。

 

さらに国語の授業では「高瀬舟」を扱った。

弟を殺した兄が高瀬舟に乗せられて云々、というストーリーだった。晴れやかな表情をしていた兄が事の仔細を語るという展開だったが、この話にすごく違和感を感じていた。安楽死をテーマにした話で、どうしても安楽死は是か非かみたいな話になる。でも自分が高校生のときに感じていたのは、この兄の言うことは本当なのだろうか、ということだった。

・兄が弟を安楽死させた時の気持ちはどうだったのだろう?

安楽死は是か非か?

みたいな優等生的授業展開などまったく耳に入らなかったことを覚えている。兄の、弟を想う気持ちとか安楽死だとかそういうことで授業をクローズしようとしていたので、とうとう担当教師に訊いてみた。

「この兄の話がウソだったら、論点はまったく逆になりますよね?」と。

担当の教員は口の端に泡を吹かせながらまごまごしていた。その後教員はうだがだ説明してくれたのだが納得出来ない。

さらに訊いてみた。

「作者はこの世にいない。だから真意は分からない。学校教育だからといって教員の言うことを100%鵜呑みにすることは出来ない。教員の言うことはすべて正しいんですか? 自分はそうは思わない」と。

むろん教室内はざわついた。教員は理解のある人だったから「確かにその通りだ」と一応の理解をしてくれた。解釈は人それぞれあっていいはずだ、と。

 

要するに高校生の青二才の年齢の時からクリティカルに物事を眺める癖がついていたのだ。推定することは結構だが、それを実証する事実が不足したとき、一方的に正解を決めつけることはおかしいのではないか。

現在の学校教育に欠けていることはそういうことだと思う。みんな物わかりがよすぎ。当時はそれが賢さだと思っていたけれど、今はそう思わない。主張すべきことから避けているとこれからの時代を生き抜くことなど出来ない。なぜならクリティカルなものの見方も出来ないとことの本質に迫ることなど出来ないからだ。

皆さんはどう思われるだろうか?