自称週末ファーマーの菜園ブログ

人と向き合う代わりに犬と野菜と向き合い、出不精な性格ながらも少しでも進化しようとささやかな努力を続ける中年の趣味のお話。たまに出てくる仕事の話はストレス発散目的

小中学生の学力は家庭環境に起因していることが多いという事実

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当ブログ管理人は大学を卒業して約10年教育関連の職業に就いていた。いろんな子供たちやいろんな親御さんを見てきた。中には理想的な親子関係の家庭や反対にこの子にしてこの親という事実、こんな子にしたのは親だなという典型的な事例など様々な例を見ることが出来た。

どっかの記事で子供の出来の善し悪しについて話題を見かけた。*1 少しそれについて考えたことを記してみたい。もちろん経験則に基づく個人的な見解であって世間一般がどういう見解を持っているかどうかなどは分からない。経験に基づいて記してみたいと思う。*2

 

既出の記事には「隣の子供たちは頭脳明晰成績優秀。だから何をさせているのかを聞いてみたところ、『何もさせてない』という」とかいう内容だったと思う。自分の子と比べて成績が優秀な子供を持つ親に純粋に聞いてみたのだろう。ま、それが親心ってもんなんだよなー、とか読みながら思ったが何か奥歯に詰まった“何か”を感じた。

そもそも

「何かさせれば優秀になるのだろうか」

という部分に疑問を感じた。

今のご時世、いろんな習い事が多いし、一生懸命習い事をやらせている家庭も多いのではないかと思う。一方でホントに子供たちが自ら進んでやりたいと思って習い事をやっているのだろうかとも思ったりする。習い事をやらせるのは親御さんの自己満足ではないかと思えるような事例も過去には存在したのだが、そういう子供たちに限って器用貧乏だったりするわけ。とりあえず出来るけれど、何もかも二流どまりみたいな。当ブログ管理人は習い事は否定しない。現に子供の頃、少年野球もやっていたし、習字も習っていた。*3 だからそれは否定しない。問題は子供たちが本当にやりたいことなのかどうかというところだ。

けれども、いっぱしにそれ相当の年齢になった今、大人である親が子供を導くことは必要なことだも感じている。だから子供のやりたいことばかりを認めるのではなくて最低限のことは親が導いてあげることも重要なことではないか。そういう意味では子供に対して「スイミングスクールに行きなさい」「そろばんやりなさい」とかいうのは至極真っ当なことのようにも思える。*4

既出の記事には「頭脳明晰成績優秀」とか書いてあったので話を学力にフォーカスしよう。

たとえば、経験的に言えることは「公文って基礎的な計算方法を習得したり反復訓練することで『出来るようになる』点においていいツールではないか」ということだ。もちろん公文の経験がない人で優秀な人も多いのは事実であり、当ブログ管理人には公文の経験はない。*5

それゆえ習い事という範疇で言えば、公文はやらせる意味と今後期待される効果が認められるのではないかと思っている。だが、誤解してほしくないのは「やらせることに意味があるのだが、さらに重要なことは自発的にやらせるように大人が導くこと」なのだ。

 

ここで過去の経験から以下のような事例を挙げてみようと思う。

【過去見てきた成績優秀な子供の例】

①子供の意志を尊重していた

②本や図鑑を与えていた

③素直だが、自分の意見を言えた

④親子で仲が良い

⑤モンスターな親ではない

【過去見てきたダメな子供の例】

①親の言いなり

②ちやほやされすぎ

③親の言動不一致

④家庭における生活リズムの悪さ

⑤ルールを守れない

 

成績が優秀な子供に共通して言えるのは子供の声に耳を傾け、的確なアドバイスと子に対する支援を惜しまなかった家庭に多かったということだ。世間一般に言う、教員の子供は優秀だとか医者の子供は優秀だというレッテルは当たってもいだし外れてもいたというのは正直なところだった。つまりは子供の学力は親子関係を含めた家庭環境に起因することが多いのではないかということだ。経験的にそれを学んだ。客観的なデータを示すことは出来ないが、経験的にそうだった。「親が我が子をしっかりと導いてきた」家庭は比較的優秀な子供が多かった。だから前出の「何をやらせれば」という疑問に対しての解は「それは無意味な質問だ」ということになろうか。

反対にダメな例で多かったのは①と②だった。特にひどいのは母親の言いなりな子供。マザコンタイプ。つまり導き方が間違っているケースだ。こういう場合、母親もテングな例が多かった。小中学校で成績優秀と言われたくらいで有頂天になってしまうようなタイプに多かった。大して成績優秀でもないのに。学校のテストで花マルが多い? 返答に窮してしまう。その子供の行く末を知っているけれどもその母親は卒倒しているのではないか。子供をダメにした最たる例だ。*6

③についてはこうだ。子供に対しては「テレビなんか見ていないで勉強しなさい」という。その母親はテレビを見ながらせんべい喰ってる、みたいな。これじゃ子供は勉強しないな。出来る子供を持つ親ならこうなるだろう。勉強しなさいと言った後で自分が見ていたテレビを消す。むろん、出来る親なら勉強しろとは言わないかもしれないが。

子供には「テレビ見ないで勉強しろ」といいながら親はテレビとスナック菓子という事例は多かったから、実はそういう家庭が普通なのかもしれないと思うようになったは教育関係の仕事を辞めた時だった。いわゆるデキる子の方が少ないのだから。

④は③にも通じるところだ。⑤は家庭内のルールを含めた“躾”の部分だ。学校というところははっきり言うと無駄なことが多いのだが、それでも社会に出るためには必要な「我慢を学ぶ時期」だから、各家庭の価値観を押し付けてくるのは本末転倒と言わざるを得ない。モンスターはこういう親なのだ。

成績優秀になるかどうかって家庭環境に起因していることが多いなということを経験的に理解した。だから教員の子供が優秀かどうかは環境によるだろうし、医者の子供が優秀かどうかも環境が決定するのではないか、と。もちろん教員の子供で不出来な子供もいた。そういう親に限って子供の能力をちゃんと把握していた。医者の子供で不出来な子は少なかったが、それでも「?」という子供はいた。それも親は理解していた。すべては子供次第だ、と。そういう親って我が子を客観的に把握することが出来るんだと思った時、正直感心したものだ。

だから親が大卒なら子供も優秀かというと一概に言えないし、親が中卒でも子供が優秀という例もあった。ポテンシャルの部分も関係なかったように思う。*7

 

現に当ブログ管理人は親に勉強しろと言われたことはない。その理由は簡単だ。我が子に対して「自分の子供だから優秀な訳はない」と見切っていたからだ。そう言われもした。家庭環境も悪かったし。それでも自宅には百科事典やら暇つぶし出来る本は多かった。見るものがなくなれば新聞を読んだ。チラシも読んだ。道ばたに捨ててある週刊誌さえ読んだ。片っ端から読んだ。親に期待出来ないことも知っていた。現状を受け入れる一方で親のようになりたくないと強く思っていた。だから自分で何とかするしかない、と。やれることは全て自分でやった。新学期、ノートさえ買えなかったから新聞の折り込み広告で、裏面が白いものをかき集めてノート代わりにしたときもある。それが惨めで仕方なかったが、将来、こういう思いをしない(させない)ようにしようと思ったのが今につながっている。

 

大人は子供を導くことで可能性を広げてやることが出来る。あくまでも可能性だ。約束された未来などはないのだから、あくまでも可能性。それは環境がそうさせるのであってすべて言動によるものではない。大人の役割は子供たちの可能性を狭くしないことにある。親ならなおさらだ。大人になってからでは、可能性を広げるためにはかなりのエネルギーが必要だ。多くの大人はそのエネルギーを使用することに制約がある。だから子供には可能性を狭めるようなことをすべきではないのではないかと思っていた。*8

 

ある親が「隣の子供みたいに優秀にさせたい」と思う。でも我が子はそう思っていない。もうそこで終わり。乖離。これは埋まらない。我が子が「隣みたいに優秀になりたい」と思わなければダメ。そう思わせることこそ難しいのだが、そこがポイントなんだ。

でも、

でも、これだけは聞きたい。

どうして隣の子供と比較して、我が子を優秀にさせたいと思っているんですか?

と。そもそもそこが一番気になるところだったりするのだが・・・。

 

 

*1:Yahoo!かなんかで見た

*2:だからただの戯れ言だと思って下さるとうれしい

*3:自分の場合はとにかく家に居たくなかった

*4:やらせる目的を考えているのであればよい。水泳選手にさせたいとかそろばんでメシを喰えるように、とか。でも多くの場合は目的と手段が混同しているケースが多いように感じている

*5:当時、公文をやろうという選択肢を持ち得ていなかった

*6:でもそれはそれで今は幸せなのかもしれない。やっと気づいたというか

*7:割合を持ち出すと、それは確かに大卒の子供の方が、ということになる

*8:それを親御さんに言ってみたこともある。理性では理解しているらしいけど、感情的にはダメらしい。そこが分かれ目なんだけれどね