彼は「えこひいき」が嫌いであった。小学生の時分において、なぜ先生という人種は「えこひいき」をするのかが分からなかった。どうして「男の子でしょ」とか「女の子でしょ」とか言うのだろうかと常に思っていた。当人の意図と判断によらず、第三者が男の役割と女の役割を区別することはおかしいと思っていたし、それは第三者が決めるべきではないと考えていた。当人の意志をまったく尊重しないやり方に嫌悪感を覚えたものだ。
もちろん彼は「えこひいき」されるのも好きではなかった。もっともえこひいきを声高に反対していたおかげで煙たがられ、先生という人種の眼中に入ることさえなくなってしまった。
彼は「平等」を信じていた訳ではない。むしろ(いい意味でも悪い意味でも)差別はなくならないことを理解していた。いくらえこひいきが嫌いでもすべてを平等に扱ってほしいとは思えなかった。ここにある種の矛盾が存在していることに彼が気づいたのはもう何年かが経ってからであった。そのとき彼は「あのとき思っていたえこひいき嫌いはただの妬みではなかったのだろうか」と。しばらく考えてから彼は首を振った。彼は小学生の時分に思っていたことが自分の身から出た妬みに他ならないことを悟ったのである。そして彼は思った。「真剣に物事を捉えてはいけない。特に大人がやることはすべてが欺瞞なんだ」と。他人を信用しなくなった。とはいえ、彼はそんなことを考えている自分も信用していなかったようである。そんな彼は16歳になっていた。
16歳になった彼は一層偏屈な性格となる。
同年代の人間が考えることに対して一歩引いて見ていること。必ずその逆を考えてしまうこと。つまり今で言うクリティカルシンキングだ。周囲の人間が言うことを全く鵜呑みにしなかった。自分で確認出来たこと、客観的に信用出来ることを除いて、他人の言うことは信用しなかった。もちろん大人の話も、だ。
同時に大人に対する反骨心もさることながら、同級生に対しても「ある種の強要される好意」を嫌悪するようになった。
例えば、クラス替えかなんかあって、近くの席の人間と話をするようになったときのシチュエーションを想像してほしい。
他人「ねぇ、消しゴム貸して」
自分「(本当は嫌なのに)う、う、うん、いいよ」 みたいな。
そのとき思ったものだ。「自分のことは自分でやれよ。他人をアテにするんじゃない」と。「こういう連中に限って、そっぽ向くときが来る。軽いんだよな」と。
そう、彼が高校生の時代に感じたのは、その「軽さ」だった。軽薄短小、とでも言おうか、そういう感じ。まったく真剣さを感じない、魂のない会話。クールさが格好いいとでも言いたいような、そんな感じ。
彼は思った。「イヤなものはイヤだし、ムリに付き合うこともない」と。そう、協調性ゼロとなったのだ。しょせん、他人は他人だし、自分は自分だ。やることやってればいいじゃないか、と100%割り切ることにした。
そうこうして高校を卒業する。そして入った大学でも同じような心持ちで過ごそうと思った矢先、自分と同じタイプの人間に、思いがけず自分の心境を吐露してしまうこととなる。
大学生生活も期待していなかった。特に特筆すべきことのない生活を送ろうと決めていた。やることやって大卒という肩書き欲しさにつまらない講義を受けていた。そういう意味ではまじめな学生であった。むろん周囲の評価もそうだった。でも彼は周囲の評価など考えていない。周囲があったことさえも気づいていないようだった。
大学一年生なんてものは高校生の延長みたいなもんだった。なんだか全てが気に入らない。ぎゃーぎゃー、きゃーきゃーうるさいのだ。友達なんかいらないと気取っていたのかもしれないが、それでも自分に寄ってくる男たちがいた。もちろん彼は寄ってくる人間たちを信用しない。いずれ信用出来るとも思っていなかった。他人はみんな信用出来ない、もちろん親も、自分も、と思っていたくらいだから。
その男は岩手の出身だった。また別の男は青森の男だった。彼らはこういった。「東京に出て来て、人間が信じられなくなった」と。
は?
薮から棒に何を言っているんだ、この男たちは? 大して会話もしていない偏屈そうな男になんてことを話しかけてくるんだ、と。
彼は黙って話を聞いていた。もっぱら聞き役に徹していた。それは自分のことをしゃべるのがめんどうくさいと思っていたからであり、他人を信用していないからでもあった。その男たちは次から次へと話をする。それでも彼はそんな男たちの話を聞いて不快には思わなかった。なぜなら同意を求められることがなかったからである。男たちは言う。
「オレはこう思うのだ。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜だってね」とか
「はっきり言って、&%$#$&*`&%#&*``&#」とか
はっきりと自分の意見を主張してくるのだ。
その日、彼と男たちは夜を徹して安酒を飲みながら主張し合っていた。でもまだ彼は自分の意見を言うことはなかった。それは男たちの主張の真意をはかりかねていたからであったのも確かだが、男たちの主張が彼が長年思っていたこととリンクしていたからである。つまり、自分は聞いているだけでいい、なぜって男たちと同じことを考えているのだから、と。
数ヶ月後、彼はとうとう自分の心情を暴露する。
男たちは泣いていた。
訥々と話をする彼と、目に涙を浮かべて話を聞く男たち。
端から見れば異様な光景だったに違いない。でも彼は真剣だった。それは若かりし頃の若気の至りだったかもしれない。少なくとも彼は小学生の時分から胸につかえていた何かが取れたような気がした。同時に安堵した。自分と同じことを考えられるヤツらがいたのだ、と。
「お前ら、最初、アブラムシかと思ったよ。なんだかくっついて来て」
「ひでぇ〜なぁ〜」と男たち。
今、その男たちは地元で警察官となっている。
収穫したハクサイにアブラムシが付いていた。
それらを水で洗いながら、昔のことを思い出していた。