自称週末ファーマーの菜園ブログ

人と向き合う代わりに犬と野菜と向き合い、出不精な性格ながらも少しでも進化しようとささやかな努力を続ける中年の趣味のお話

受験生の皆さん、がんばりましょう

2/1は東京・神奈川の私立中学の入試の解禁日だと、ニュースでやっていた。実は解禁日がニュースなんではなくて、入試当日に塾関係者が校門付近で激励することが問題になっているということがニュースとなっていた。

あれって迷惑だよね?

激励されて喜ぶ受験生もいれば“知っている顔”を見て緊張の糸がぷっつりと切れる受験生もいるのではないかなと思う。少しシャイな受験生なら恥ずかしいと思うに違いない。

一方で寝る間も惜しんで勉強してきた受験生の合格を望む塾関係者から見れば最後の最後まで応援したくなる気持ちも理解できる。手塩にかけて育ててきたわけだから(?)最後まで激励したいのは親心だろう。

問題なのはTPOをわきまえろってことだと思うのだがどうだろう?

どうしても塾関係者っていうのはアウトサイダー的なイメージがある。そう思う当ブログ管理人もよくないのは重々承知している。

 

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この時期になると受験関係の記事が多く見られる。その中で「世界史に奇問難問が多い」といった記事もあった。大学の関係者が片手間に作成する入試問題であり、中には自らの研究テーマなどを出題する傾向があってそれがよろしくないといった記事だった。確かに大学の入試問題には奇問難問が多い。特に難関といわれる私立大学に多いのは確かだ。採点の手間とかナントカあるらしいけれど、大学側から見れば入ってくれるのは誰でもよくて、入試問題から本当に入学してもらいたい人材を選考したいという意図がまったく感じられないというわけだ。また歩留まりの問題もある。

出題者側の論理はこうだ。

差がつかないと選考に困る。ある程度の点数差をつけるためには奇問難問もやむをえない。論述式の採用の是非については採点基準が不明確になる恐れがあり公平性に欠けるとの意見。

へー。

そんな試験を作っているからいつまでたっても東大に勝てないんだよ。

 

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いわゆるよい大学に行けばその後の人生が保証される時代は終わった。よい大学にいけばその後の可能性が広がるというか(これ以上)狭くならないという意味では大学に入る価値はあるように思う。そういう意味で大学の存在価値って変わったようだし、現に「なんたらキャリア学部」とか意味不明な学部もあるくらい。一昔前なら考えられなかったような学部だ。何をやる学部なのかはまったくわからない。専門学校みたいだね。

 

あとしばらくすると入試が本格化する。それが高校だろうと大学だろうと精一杯がんばってほしいものだ。日本の入試って入試に突破することが目的になっているからおかしなことになるんだよな。問題は入ってから何をするか、なのにね*1

 

 

今朝、受験生らしき人を見かけたから激励の意を込めて。

 

 

*1:いまだからこそそう思えるのだけれど