こういう時期になると思い出すのだが、当ブログ管理人はその昔野球部に所属していた。成り行きで、小学2年生からやっていた野球なるスポーツを高校3年生まで続けていたわけだが、これにはいくつかのトピックがある。
そのトピックの一つは「自ら進んで野球部に所属していた訳ではない」というものだ。
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特に高校で野球をやろうとは思っていなかった。自分には縁のない世界だと思ったからだ。もっと違う世界を見るべきだったのだ。
今でこそ自分は内向的性格でかなり偏屈な人間であり、趣味、交友関係、興味の示しどころなどのストライクゾーンが極めて小さい。
幼少期には単純な正確だったのだが、そんな自分にも中学3年生の頃になると自我がかなり発達する。
「世の中、仮面を付けた連中が多い」
ということに気づいたわけ。ガマンの世界が待っているんだ、と思っていた。
で、団体生活とか集団行動とか連帯責任とか、そういう管理者にとってかなり都合のいい言葉がまかり通る世界で高校生活を過ごすことになった。
当時の自分にとっては、その理屈は理解できるけれど感情的には納得できないものだった。
今ならそんな部活動はさっさと辞めてしまえば良いと思えるのだが、辞められない事情があった。これがトピックの二つ目なのだが、それについてはまたの機会に譲ろう。
ま、極論を言うと、自分は体育会系気質が合わないのだということだ。たかだか1〜2年先に生まれたというだけでどうしてそんなに偉そうなんだ?と常に思っていた。そういう世界では年齢こそがリスペクトの要因の一つとなり、人格性とかプレーとかそういうもんが要因となっていないことにがっかりしたものだった。
だから、高校野球のシーズンになると、そうした高校時代に同じ釜の飯を食った連中には理解不能な気持ちを吐露することもできず悶々としていた自分を思い出す。
先輩面したくないし、先輩面されたくもない。そんなお面は壊してしまいたくなるくらいだ。自分の人生の中でもっとも偏屈な時代だった。いつかそれが懐かしく感じる頃が訪れるのだろうか?
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実はそんなことを考えながらサトイモの土寄せを行っていた。
暑かったもんだから夏を思い出したし、暑い中での作業だったから昔の思い出が走馬灯のようにアタマん中を駆け巡ったのだろう。
暑いとロクなことがない。