その昔、学校という場所で、それは夏休みに入る前の時期だったと思うけれど、アサガオを栽培するという授業?があった。
今となってはそれが授業だったのかそうでなかったのかはわからない。
とにかく毎年アサガオのタネをまき、夏休みになるとそれを持ち帰るということをしていた。
当時はアサガオよりも、アサガオに取り付く害虫、それ特にイモ虫系なのだが、そっちの方にこそ興味があり、害虫が取り付くアサガオとそうでない(健康な)アサガオがあることに特別な意識を持たないでいた。
「アサガオには虫がつく植物なのだ」
という認識でいたのかもしれない。
花の蜜を求めにハチや蝶が来るように。
樹液にカブトムシがやって来るように。
芸能人がいると知ると、それに群がる庶民のように。
そいうものなのだ、と思っていた。
今でもそのようなことをしているのだろうか?
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そもそも植物やら動物やらが、それ単体でしか存在しないコミュニティというものは存在しないはずである。
共生、と言えば良いのだろうか、持ちつ持たれつ、弱肉強食で成り立っているのがこの生物界である。
だからこそ、農薬などを使って害虫(もっとも益虫だってそうだろうけれど)を駆除するなどということは人間のエゴに他ならない。
冬場、家庭菜園的活動をしないでいると、ふとした折にそのような戯言を考えるようになる。
バラの鉢にて。
バラと共存するサニーレタス。
たまたま零れたタネがあったのだろうか、こんなところで発芽したようだった。意図的ではなく、ただただ勝手に。
農業界では「コンパニオンプランツ」とか。
春がその歩みを着実に進めている。