自称週末ファーマーの菜園ブログ

人と向き合う代わりに犬と野菜と向き合い、出不精な性格ながらも少しでも進化しようとささやかな努力を続ける中年の趣味のお話

20年ぶり、仙台再訪

祖父が亡くなった。

 

 

連絡を受けたのは月曜日だった。

連絡を寄越したのは母からで、いわく、

 

「葬式も済んだし」

 

 

 

 

 

***

 

祖父のところへ行くのはおおよそ20年ぶりだった。20歳代半ばに旅行に来て以来の訪問であった。

 

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新幹線で仙台に来たのは30年ぶり。

 

 

 

 

月曜日に連絡を受けて、急遽月曜日の午後から仙台に向かった。せめてお線香くらいはあげたいと思ったからだ。

行きは「はやぶさ」に乗ったので1時間で到着。車中でビールを飲むことすらままならなかった。

 

その日は市内に滞在。

仙台での夕食を堪能した。

滅多に食えないお刺身。

 

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量こそ少ないけれど、これで800円ほどだった。

 

 

 

祖父のところへは地下鉄、バス、タクシーを使って向かう。

仙台駅から地下鉄。地下鉄を降りてバス。最寄りのバス停からタクシーを拾う。相当に辺鄙なところに住んでいるのだ。

地方都市のバスの時刻表。

ま、こんなもんだ。

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バス停からすぐのところにタクシー会社があった。

タクシーで数分のところに祖父はいた。

 

祖父は笑っていた。数えで102。大往生といっても過言ではなかった。晩年は施設にいたというが、ここまで行きたのだから「ありがとう」と伝えた。

 

祖母は要介護になっていた。祖母は90後半だ。

 

20年ぶりに訪れるということは、要介護になるということだった。

 

 

 

祖父宅では、叔父と叔母と会話でき、3時間ほど昔話をした。少し退屈になったので周囲を散歩するが、新しいカフェができたりパチンコ屋が潰れたり。20年ぶりにくるということは周囲の景観が変わることでもあった。

 

祖父は地主でもあるから、多くの土地を多くの企業に貸し付けていた。

田んぼには稲が実り、

畑には花木が植えられ、

それでも余る土地を貸していた。

 

 

死ぬということは、多くのものを残すということでもあった。

 

 

 

 

 

四十九日の納骨には細君とともに訪れる予定。