祖父が亡くなった。
連絡を受けたのは月曜日だった。
連絡を寄越したのは母からで、いわく、
「葬式も済んだし」
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祖父のところへ行くのはおおよそ20年ぶりだった。20歳代半ばに旅行に来て以来の訪問であった。
新幹線で仙台に来たのは30年ぶり。
月曜日に連絡を受けて、急遽月曜日の午後から仙台に向かった。せめてお線香くらいはあげたいと思ったからだ。
行きは「はやぶさ」に乗ったので1時間で到着。車中でビールを飲むことすらままならなかった。
その日は市内に滞在。
仙台での夕食を堪能した。
滅多に食えないお刺身。
量こそ少ないけれど、これで800円ほどだった。
祖父のところへは地下鉄、バス、タクシーを使って向かう。
仙台駅から地下鉄。地下鉄を降りてバス。最寄りのバス停からタクシーを拾う。相当に辺鄙なところに住んでいるのだ。
地方都市のバスの時刻表。
ま、こんなもんだ。
バス停からすぐのところにタクシー会社があった。
タクシーで数分のところに祖父はいた。
祖父は笑っていた。数えで102。大往生といっても過言ではなかった。晩年は施設にいたというが、ここまで行きたのだから「ありがとう」と伝えた。
祖母は要介護になっていた。祖母は90後半だ。
20年ぶりに訪れるということは、要介護になるということだった。
祖父宅では、叔父と叔母と会話でき、3時間ほど昔話をした。少し退屈になったので周囲を散歩するが、新しいカフェができたりパチンコ屋が潰れたり。20年ぶりにくるということは周囲の景観が変わることでもあった。
祖父は地主でもあるから、多くの土地を多くの企業に貸し付けていた。
田んぼには稲が実り、
畑には花木が植えられ、
それでも余る土地を貸していた。
死ぬということは、多くのものを残すということでもあった。
四十九日の納骨には細君とともに訪れる予定。