先日、妻と鉄腕ダッシュを見ながら
「そういえばそろそろ受験だっけ」
と質問された。この受験というのが何受験なのかは分からないけれど、
「もう始まっているところもあるだろうし、まだなところもあるんじゃない?」
と玉虫色に回答した。どうやら妻は埼玉県の公立高校の入試について尋ねていたようで
「あ、県立とか」と答えていた。
どうして鉄腕ダッシュの「グリル厄介」を見ながらそんなことを質問してきたのかは分からない。夫の方も質問さえしなかった。
「うん、まだじゃない。多分2月下旬とか3月初めとか」と回答した。
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当ブログの過去のエントリで
こんなエントリをリリースしたことがある。今でもかなりのPVがあるようで、殴り書きしたものではあるけれど興味関心のある方が多いんだなと思った。
最近では「親ガチャ」なる言葉もあるよう。ある部分では共感できるところはあるけれど、一方で同質量で共感できない部分もある。もっとも誰の意見が正解で誰の意見が不正解というのもないのだろう。
自分はどうだったのだろう?
幾度か書いたように、病弱で軟弱な父親と浪費グセのある母親の間に次男坊としてこの世に生を受けた。最も当時は「親ガチャ」などというワードはなかったのだが、どうしてこういう親の元に生まれたのだろうかと思ったことはなかった。そんなことを考えるだけの知性がなかったからだろう。
どうせ親がダメなら自分でなんとかするしかないさ、とかいう割り切りだったのかもしれない。
またはいまのような情報が溢れた社会ではなく、周囲のこじんまりとしたコミュニティの中の比較として似たような連中しかいなかったからかもしれない。
難しい問題だけれど、自分がこうやってきたのだからそれをしない現代の子供はおかしい、というのは少し違うと思う。
そこにこの議論の難しさが存在するように思える。
でもね、親が貧困だったがために恥ずかしい思いをしたことは多々ある。恥をかいた、というべきか。そんな時は「どうしてうちの親はこういうんだろう」と嘆いたことはある。それはいわば諦めに近かったかもしれない。
と同時に半ば貧困でない家庭に対して羨望の眼差しを向けていた。
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受験シーズンになると時折思い出す。
家庭が貧困であったために行きたい高校に行けなかったが、もし仮に進学できていたらどうなったのだろう、と。おそらくは過程は違っても行き先は同じだったかもしれないなぁ・・・。しょせんは自分の器量の範囲内でしか生きていけないのだから。少なくとも自分はそう思っている。
「親ガチャ」の議論にこれ以上与することはしないけれど、個人レベルの話と行政や国レベルの話を混ぜないほうがいいのでは、と感じている。