自称週末ファーマーの菜園ブログ

人と向き合う代わりに犬と野菜と向き合い、出不精な性格ながらも少しでも進化しようとささやかな努力を続ける中年の趣味のお話

input と output とは何か?

先日、職場で「試験勉強とか受験勉強とか、どうやって勉強していたんですか?」と訊かれた。実はその質問の意図が掴めなくてしばらくう〜んと考えていたのだが、質問してきた彼から

「いやいや、○○さん(当ブログ管理人のこと)ってテキストとか読むだけで覚えられそうな感じがするんで」

とか言われてしまった。だからこう答えた。

「テキスト読んで覚えられることは興味あることだけ。それ以外はインプットとアウトプットが必要だ」と。でも、しばらくしてから input と output とか言ったけれど??と再度考え込む羽目になってしまった。

 

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当ブログ管理人はその昔、暗記は苦手ではなかった。むしろ論理的に考えて答えを導くような理系分野が苦手だった。だから言語的な科目、英語やドイツ語などの語学は学習するのに抵抗感などなかったから試験勉強や受験勉強も苦ではなかった。だから若い頃は理解力が問われるような科目はえてして苦手意識を持ち、理解力をあまり必要としない科目には得意意識を持っていたようだった。

しかしながら成長し、大人になり、ある程度の社会経験を積むようになると若い頃に持っていた意識が逆転する。すなわち「暗記は苦手」となったのだ。「論理的に理解する」ことが出来るようになったのだ。

すると若い頃と比べると試験勉強や受験勉強の方法が異なってくるのではないかと思いはじめた。

どんな科目にしてもinputは必要。こと、試験など点数が問われるものについてはoutputも必要。だから何を目的に勉強するかでinput と output の割合が異なってくるのではないか? 実はそんなふうに考えるようになったのは最近のことだ。

社会に出て、いわゆる若手のころってinputの連続で、input > output であったのが、キャリアを重ねるにつれてinput < output に変化する。極論言えば output で給料を得ているといっても過言ではない。だからこそ、 output のレベルに執心する。

 

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ここで自分なりに input  output の定義を整理してみよう。

【inputの定義】「知識」を得る

【outputの定義】「知識」を用いて求められる解を導く

仮にこれらの定義が正しいとすれば、

教科書や参考書を読み、知識を頭に入れることが input になり、その知識を使って問題集を解くことが output だということになるのだが、どうもこれがしっくりこない。中学生だった頃を思い出してみる。教科書や参考書、なんかのテキストを読みあさり、暗記に努めた。問題集を紐解き、問題演習を行う。解けたとか解けなかったで満足していた。せいぜいどうして間違えたのだろうとか思い出して解法を確認する程度だったような気がする。そういう勉強のしかたって違うんじゃない?とか思う訳だ。

じゃぁ、何なんだ?

【outputの定義②】与えられた問題から出題の意図を汲み取り、有している知識との紐付け、関連を自分で考え、解に至るまでのプロセスまで予見する

という感じになろうか? もちろん、高校受験を控えた受験生はこんなこと考えないけれど、【定義②】のようなスタンスで問題集に取り組むとまた違った印象になっていたかもしれない。大学受験レベルであればこういう考え方も使えるかもしれない。

 

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input の方法にはいろいろあるはずで、黙読でいける人もいれば、音読する人、サブノートにまとめる人、暗記カードを作る人、それぞれだと思う。でも多くの人が勘違いしていて、それは input には人それぞれに適したやり方があるということ。一番いけないのが、いきなり問題集から着手して問題集をやりながら覚えるとかいうことを推奨する人だ。その方法をとるためには問題集の選定を入念に行う必要があると思うけれどね。こういうのって、高校受験生を持つ親御さんに多い。

当ブログ管理人は「サブノート派」。書きながら覚えるタイプであるし、体系的にやらないと関連づけが出来ないので紐付くことは何でも書き込む系だ。でも自分の場合は少し違うやり方だ。

日本史とか世界史といった歴史的学問系は時代が古い順に載っている。だからたいていの人はサブノートを作ろうというと、時代の古い順番に着手する。でも自分は違う。どういうやり方かというと、テーマごとに体系化してしまうのだ。教科書の掲載順なら、大昔→昔→ちょっと前→こないだ→つい最近という歴史的事実の羅列を再編成する。詳細は忘れちゃったけれど、例えば、鎌倉時代から江戸時代という昔の出来事に対して、鎌倉幕府の成立から大政奉還までを順番通りにinputするのではなくて、こうする。まずテーマを「征夷大将軍」にする。そうすると、鎌倉時代から征夷大将軍がずらりと並ぶ。そこに重要な歴史的事項を紐付け。そんな感じ。「将軍」だけじゃなく、「文化」だって「庶民(農民)の暮らしぶり」でもなんでもオーケー。自分は少なくともそういう感じのinputが効果的だと思っている。

問題集をやりながら覚えるということに対して否定的な意見を書いたが、これも勉強する目的次第で考え方も変わる。詳細は書かないけれど、なんかのローカルな模試対策で問題集を選定するのに、学研や進研ゼミではダメだということだ(ローカルなも模試対策は過去問が一番良い)。これらは問題集を解いた後が肝心であって問題を解くことが大事なのではない。解いた後でどうやってその問い以外に対応出来るようにもっていくかが一番のポイントなのだ。○がついたとかバツがついたとかは全く問題にしない。問題集に掲載されている問からどんな出題パターンが想定出来るかを復習しながら逆にinputしていくことが肝心なのだ。その学習方法を導いてくれる指導者がいればよいのだが、えてしてそんなことは教えてくれない。だから高校受験程度の受験生に問題集を解けばいいとか推奨するのは危険だ。「問題集を」解きまくればいいんだとかいうことを言う指導者を絶対に信用してはいけない。

 

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input と output は人それぞれやり方も異なるし、いろんな考え方があっていいと思う。でもinput と output の目的は何かということを意識していないと間違ったinput と 間違ったoutputにつながってしまう。勉強初期はinputに注力し、一通りのinputが終わったら問題集でoutputする。誤答を入念に確認しながら input の抜けがないように再度確認する。次いで過去問に入る。そして傾向を知る。過去問を解くことでその問以外の関連付けや想定される出題パターンを、inputしてきた知識をもとにそれこそoutputする。資格試験であればこんなやり方がいいと思う。

【outputの定義③】input で得た知識を求められる解に当てはまるように変換して、出題者の意図に合致するように表現する(解答力)

今、言える定義は③だな。

でも学校と呼ばれるところの定期試験はそういうわけにいかない。範囲があるし、その担当が授業したことだけ分かれば良い。それ以外は分からなくてよい。紐付けも不要。資格試験とは目的が異なるんだからね。

中高大の受験勉強は資格試験に準じるところが多いのではないか。

100点とらなくていいんだから。

 

本日からセンター入試だときいてこんなエントリにしてみた。