自称週末ファーマーの菜園ブログ

人と向き合う代わりに犬と野菜と向き合い、出不精な性格ながらも少しでも進化しようとささやかな努力を続ける中年の趣味のお話

ホッとできる小春日和の中で

 

11月某日、ある人物が亡くなった。

 

 

 

 

その知らせを受けたのは実母からで、その前から「危ない、危ない」と聞かされていた。

 

そう、亡くなったのは実父だ。

 

 

 

実父は、当ブログ管理人の中では30年前に亡くなっていた。肉体的にではなく精神的に、である。

 

だから葬儀で死んだ(父であったはずの)男の顔を見ても正直この男が本当に自分の実父なのか確信が持てなかった。

 

とはいえ、名前は父親のものだったし考えても仕方がなかったので実父だと思うようにした。

 

 

30年。。。

 

 

かなりの時間だ。

 

 

 

 

30年前、躁鬱症を発症したかつて父であった男は、消費者金融から借金をしてきてはパチンコ屋に入り浸り、そして見ず知らずの客に対して消費者金融で借りてきたであろう金銭をばら撒くと言った愚行を繰り返していた。挙げ句の果てにはそのパチンコ屋で眠りこけてしまい、行方がわからず、(仕方ないので)捜索願まで出したほどの乱痴気ぶりだった。

 

ある時には勤め先から電話連絡があり、無断欠席等続いていると言われ、改善の見込みもないので会社から解雇された。

 

ある時には勝手に車を買ってきた。そして自爆事故を起こした。

 

こうなると他人様に危害が及ぶかもしれない。

 

警察に何度お世話になったことか。

 

 

警察官曰く、

 

これは病院に入れたほうが良いですよ

 

と。

 

 

 

全くその通りだと思った母親はとある場所の精神病院へ強制的に入院させた。

 

それまでは威勢がよかった父親だったが、入院するや否や、それまでの躁病から鬱病へと180度転換し、そのままおとなしくなったという。

 

 

それからというものの、当ブログ管理人の中では、父親という存在は記憶から抹消されることになる。

 

 

その後紆余曲折を経て、5〜6年前に脳梗塞を発症。手術後、植物状態になった。

 

最近になってバイタルがおかしくなり始め、「危ない、危ない」報告と相成ったわけだ。

 

 

 

 

そんな父親だったので、正直亡くなってホッとしたものだった。いや、正確にいうと、30年間存在をなかったものにしてきたので今更感はあった。でも一つの区切りだしと思った。

 

季節が移ろいで行くので枯れてしまった植物のように、悲劇的でもなんともない死であったと言える。

 

このようなことを書くと「実の親なのに」とか「なんとかかんとか」とか指摘があることは分かっている。

 

 

でもね、上記のような経験をしたことがない人に限ってそういう批判をするのだ。身内にそういった人間を抱えてみろって。家庭が崩壊するから。

 

 

いいや、現に崩壊した。

どこから借りてきたのかわからないような借金が膨らんだ。そのため持ち家も手放した。借金を返すために昼も夜も文字通り働きづめになった母親。いわゆる素行不良に陥った弟。大学の学費を自分で捻出することを余儀無くされた自分。

 

 

どう解釈しても好意的になれるはずはない。

 

 

母親も兄も弟も、そして自分も、相当な迷惑を被った。なぜそんな人間を好意的に見ることができようか。自分は善人ではないのでとてもじゃないけれど好意的には見れない。

 

 

 

 

 

11月某日、密葬で家族葬を行う。

 

そして火葬場へ。

 

 

骨を拾いながら思った。

 

 

 

本人にとっては本意ではないだろうけれど、これが分相応ってやつだよと。

 

 

白髪になった母親を見ながら、よくもまぁこんな男と一緒になれたなと改めて思った。そしてそんな母親に寄り添って、生涯独身を貫いた兄も大したもんだなと思った。いや、単に持モテないだけかもしれないな。そして弟もまだ小さい頃から父親がおかしくなったもんだから不自由はあったと思うけれどもそれでも人の親になったわけだから、成るように成るものだなと思いつつ、骨を拾った。

 

そしてかつて父親だった男同様に、拾い上げた骨も弱っちかった。

 

 

遺影もなく、仕事も友人も失い、家族からの信用も失い、ただ残ったのが白くなった骨。

 

 

 

どうせ人は焼かれてしまうんだ。どんなに立派な人間でもダメな人間でも死ぬときは同じさ。

 

 

そう思うと、死んだ父親も(一応、脳梗塞によるなんとかかんとかという死因だったけれども)命数を使い果たした、と言えなくもない。

 

 

 

そんなこんなで久しぶりに親と兄弟が一堂に会することとなった。

こんなことでもないと会おうとしないなんて、なんとまぁ薄情な連中だな。

 

 

自分も、ね。

 

 

葬儀と火葬が終わった。

この後は特に用事はない。会社にも休みだと言ってある。

 

 

 

この日は秋晴れの、ホッとできる小春日和だった。それがせめてもの餞だった。